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私たちがつむぎです。田畑のある暮らしを目指した、ドワイヤーはづきの場合。

お米ができました!

こんにちは、つむぎメンバーのドワイヤーはづきです。突然ですが、我が家のお米が先月11月に入ってやっとやってきました。我が家では昔ながらの日取りでお米作りをしているので、秋のお祭り後、まわりは来年に向かって田を耕す作業が始まっている10月の半ばに稲刈りを始めました。5月に手作りの苗代から苗を育て、6月の手植え、夏の日差しの中での昔ながらの道具を使っての田の草取り、そして手刈り、はざかけ、天日干しの工程を考えると、半年ちょっと。

いろんな人にお手伝いいただいている田植えいろんな人にお手伝いいただいている田植え

 

夏の田んぼ夏の田んぼ

 

稲刈りを待つ田んぼ稲刈りを待つ田んぼ

 

稲刈り_田んぼを駆け回る息子稲刈り_田んぼを駆け回る息子

 

たっぷりと太陽の光をあびたお米が、やっと脱穀・もみすりが終わり(ここは機械に頼っています)、ずっしり重い米袋にやってきたときの、何とも言えない気持ちと言ったら。

あぁ、これで家族3人の1年分のお米がある!
ここを訪れてくれる友人たちに食べてもらえるお米がある!
田植えから稲刈りまで手伝ってくれたみんな、ありがとう!

稲刈り_コメの束稲刈り_コメの束_

 

…こんな暮らしを南丹市の日吉町で始めて3年目(お米作りは2年目)、同じ町内で仮住まいをしていた時を合わせると、移住7年目になりました。

足元がしっかりした暮らし

私と夫が南丹市に移住したのは、本当にたまたま。東京都心に5年ちょっとくらし、静岡を経て、東京にまた戻り、都心からだいぶはずれた山の中に住んでいたころ、東日本大震災が起こりました。

その後、もともと神戸出身の私も、アメリカ人だけど姫路や岡山に長く住んでいた夫も、関西に帰りたいという思いが強くなり、何となく京都を選び、相談した友人から、「田畑をやりたいならば、亀岡より西をさがせ!」といわれてたどりついたのがたまたま、南丹市の日吉町だったのです。

最初のお米の話を読むと、就農したのかと思われるかもしれませんが、農家ではありません。私は通訳・翻訳業で、夫は、訪日外国人のウォークツアーのコーディネートという観光業に従事しています。夫の希望で広い農地は手に入れることができましたが、育てている作物は、自分たちの食べる分と、すこしおすそわけができる程度。

自分たちで作る、安心があります。

でも、自給自足まではいかなくとも、自分たちの手で食べるものを育てることができる、というのは、私たちが絶対に譲れない暮らしの条件でした。震災で、あんなに離れた東京の郊外でもアッという間にモノがなくなっていく脆弱さを経験したからかもしれません。遠くからくるものをスーパーで買い続ける消費行動にどこか、ふわふわと不安定さを感じ続けていたからかもしれません。何よりも料理すること、食べることが大好きな私たちなので、自分たちで育てる野菜やお米のおいしさや安心感に魅了されてしまったからかもしれません。

―そう、ここでの暮らしには安心感があるのです。

もちろん、スーパーでの買い物にも行くけれど、朝市や、知り合いを伝って、自分が把握できている範囲内で育てられた野菜などを購入する選択もあります。ありがたいことにご近所さんからお野菜のおすそ分けもたくさんいただけます。ほぼ毎日、顔を合わせて挨拶をし、体調を聞いたり、集落の作業について聞いたり、子供に声をかけてくれるお隣さんがいます。ガソリンがなくなっても、電気が消えても、しばらくはなんとか近隣で助け合ってやっていける素材があります。自分たちが生きる日々の「暮らし」を作っているものが、手の届く範囲にある、という感覚が圧倒的に強いのです。食べ物だけに限ったことではありません。

なぜ南丹市か

で、たまたま南丹にきた私が、他の地方でもできるであろう、上に描いたような暮らしができているからといって、なぜ、南丹市のガイドブックを作って、移住促進にかかわってみようと思ったのか、です。

それは、単純に、ここの良さ、楽しさ、ここでできることを自分が体験してみて、こんないいとこがあるよ!と周りにも伝えたかったから、というのが一つ。この場所がこれからもずっと続いていったらいいな、との思いが強くなっていったから、というのが一つ。そして、ここにもっといろんな人たちが来れば、地元の人たちも一緒に、いろんなおもしろいこと、元気になれること、みんながいきいきできることが生み出していけるのではないかな、と思ったから、というのがあります。

1つ目の理由 ▶︎ 周りに伝えたい、ということについて。

きっと日本のほかの場所にも、たくさんここのように素敵な場所/移住先があると思います。でも、私がこれまで住んできた場所で、定住の暮らしをしている場所はここだから、自信をもって「南丹への移住はオススメ!!」と言えます。

少し前になりますが、朝日新聞に当時NHKの朝ドラ「まれ」で能登地方の塩職人を演じていた舞踊家、田中泯さんの取材記事が掲載されていました。20年以上前に地方移住をした田中さんご自身が、地方創生の政策をどのように考えているかを中心にお話しされた内容でした。その中で、「中央と地方という概念が、都会と田舎の格差を維持する装置として成立しているように思えます」、と述べたうえで、次のように言っています。「中央がなければやっていけないと考えるような地域は、厳しい言い方をすれば、必然的に絶えてしまうのでは。地方という概念のない国だったら、もっとおもしろかったと思いません?」。そして、「『(地方こそが)じつは中心だったんだ』と思える引力」が必要、と。

これを読んだとき、あ、ここは中心って思える!と感じました。既にある社会システムや政治的意図はとりあえず別に考えるとして、ここが中心と感じられるからこそ、次の2つの理由にもあるように、ここがずっと続いていったらいいな、何かが生み出せていけたらいいな、とも思えたのだと思います。「…小さな共同体があちこちに並立し、それぞれが中心として存在している。中心が自在にある関係性が、理想ではないか…」と田中さんは続けていました。

―ここが中心!の小さな共同体、南丹市、どうですか??

2つ目の理由 ▶︎ ここがずっと続いていったらいいな、ということについて。

今年の夏の終わりの夕暮れ時に、2歳半になる息子と一緒に、集落にあるお薬師さんのお堂の前で行われた地蔵盆を見に行きました。地蔵盆は関東ではほぼない風習だそうですが、関西では普通に行われています。神戸で育った私もお賽銭をあげてお菓子をもらえるイベントとして記憶していました。ここでは、子供たちがにぎやかに集まる地蔵盆は集落の別の場所で行われていて、私たちが見に行ったのは、男性陣が集まって、お堂を開き、御詠歌を詠うというものでした。夫も男性陣と一緒にござの上に座っています。

少しひんやりとしてきた風を感じながら、歌の変わり目に鳴らされるリンの音と、低い合唱の声が薄闇に響きます。何とも言えない、静謐な雰囲気。常に動き回りたい年頃の息子も、じっと男性陣の後姿を見ています。

その時、江戸時代から続くというこの集落で、いつから始まったかは定かではなくとも、この同じ集まりがいままでずっと続いてきたということを、ものすごい真実味をもって感じました。子供の無病息災を願う風習がこうやってずっと行われている。とっても小さい規模でのことだけど、毎年かかさず、変わらずに何十年も。人が集落という共同体を作ってその暮らしが続いていく、過去からずっとつながって今の暮らしがあるというのは、こういうことなのだな、と純粋に心が熱くなりました。

他に違わず、人口減少とともに子供も少なくなる傾向にある南丹市の集落。自分の暮らしを作っていくことができる、素敵なこの場所に、人が少しづつ増えて、こういった風習や、お祭り、想いが続いていったらいいな、と思いを強くした夏の終わりでした。

暮らしの風景_餅つきをする夫暮らしの風景 餅つきをする夫(冬)

―今現在だけではなく、もっと長い目で人の営みを感じられる南丹市、どうですか??

3つ目の理由 ▶︎ いろんな人たちがくれば、みんながいきいきでることが生みだしていけるのでは、ということについて。

もちろん、移住することの中に、そんなことに関わることは全く考えていない、期待していない、という場合もあると思います。私はそれはそれでよいと思います。移住者に対しての論調に、何か提供できる能力などがないと、移住先は受け入れないぞ、みたいなものもあるようで、私はそれはあまり好きではありません。自然の多いところで静かな暮らしがしたい、とかだけでも全くいいと思いますし、自分が何かをやってあげにいくんだ、というのもかなりおこがましいんではないかな、と思うので。

その大前提の上で、ここの人たちとかかわりながら、楽しいと思えたり、やってみたいと思うことがあれば、ここはそういったことに取り組みやすい場所なのではないかな、と感じています。

私は、このガイドブックづくり以外に、地域新聞を作ったり、京都府内外からの大学生や留学生が参加する里山国際交流プログラムを主催していますが、これをしたい、あれをしてみたい、ということに手が届きやすいという感覚があります。一緒に取り組んでくれたり、参加してくれる人たちとの近さや、働きかける規模のちょうどよさ。支援してくれる仕組みへの頼りやすさ。広報にしろ、働きかける対象にしろ、大都市の、大勢いすぎてどこから手を付ければわからないという感覚ではなく、つながっていける人たちの顔が見える距離の近さがあるのだと思います。影響力が小さいだけじゃないか、と言われそうですが、自分たちが暮らす、目に見える範囲、できる範囲でまずつながっていけたら、そしてそこで自分だけではなく、やってよかった、楽しかったと思えることができたら、それは大きなことなのではないでしょうか。1つ目の理由に書いた「ここが中心!」と感じられるのは、共同体の中で、個がうもれてしまうのではなく、個が何かできる可能性があると感じられる場所なのだからではないかとも思います。

―やりたいことをやってみるには、ちょうどいい規模の、やりやすい距離感の南丹市、どうですか?

こうなっていったらいいな、南丹

今回のガイドブックをつくるにあたって、私はどうしても日本語だけでなく、英語も入れた2言語構成にしたい、と思っていました。自分たちが家や農地の購入をした際に苦労したことが理由の一つです。登記変更の書類や、農業委員会に提出する書類、不動産関連の様々な書類や手続きの膨大な量と専門用語を理解してこなすのは時間がかかり、日本語が堪能な夫ではあるけれど、夫婦でちゃんと理解して進めるという作業は本当に大変でした。ですが、これららの作業にともに取り組めたことで、地域の人たちとも移住前に知り合うことができ、仕組みがきちんと理解できた、そして何よりも、一緒に乗り越えた達成感という大きなメリットもありました。なので、全部とはいかなくても、主要なところを英語併記できていれば、私たちのような国際結婚カップルや、南丹市移住に興味のある外国人の方々の手助けになるかな、と思ったのです。
つむぎ会議風景

こういったガイドブックがあることで、外国人の移住のハードルが少し低くなればいいな、移住ではなくても、南丹市に興味をもってもらい、訪れてもらうことで、ここが多様な人々が集う場になっていくといいな、という思いもあります。
市内には、私たちよりだいぶ前に移住してこられた外国の方も多く、その方たちのおかげか、移住初期、外国人でも普通に受け入れてもらえた、と感じることが多くありました。都会のコンビニで、お金を払ったのは夫なのに、おつりはなぜか隣の私に来る、というようなことがよくあったのですが、ここでは、夫の目を見て話しをしてくれたり、いろんな集まりに呼んでもらったり。外国人がくることでしかできないこと、というわけではありませんが、多言語が飛び交い、異なる価値観や考え方も寄り集まってワイワイ話がしていけるような、多様性の活きる場所になっていったらいいな、と思っています。

応援&ご支援いただくにあたって
まだまだ知名度が低い、京都のはずれの南丹という場所で定住を始めた移住者のつぶやきを読んでいただいてありがとうございました。

それぞればらばらのバックグラウンドをもって、たまたまいただいたご縁で集まった私たち3人ですが、南丹に暮らし始めて、この土地や景色や出会った人たちが大好きになったり、ここでおこるいろんな出来事に胸躍らせたり、この先になにができるかわくわくしたり…そんなたくさんの想いをガイドブックに詰め込んでいきたいと思っています。

もちろん大変なことや、これは気を付けよう、ということもいっぱい。難解な手続きや、暮らしのルールもいっぱい。それも詰め込みます!少しでも、ちょっと小さめの共同体で、目に見える範囲で暮らしがつむいでいけるような、近い距離で誰かとつながっていけるような日々の暮らしに魅力を感じるのであれば、ぜひ、ガイドブックをのぞいてください。

「なんでこんなとこがいいの?」と地元の人に聞かれることがありますが、このガイドブックで、私たちの答えをたくさん出せたらな、と思います。いろんなところで「なんでここ?」に答える、このガイドブックのような媒体ができていったらいいな、と思います。こんなガイドブックをとおして、移住者と地元の人たちの対話も増えていったらいいな、と思います。ここが中心!のいきいきが増えていったらいいな、と思います。

応援&ご支援よろしくお願いします!

京都の田舎で暮らしてみたい

\日本初!民間で作った移住ガイドブック「楽しい移住」/京都の里山、南丹市に移住した女子3名が作りました。8組の先輩移住者に徹底取材、多様な生き方暮らし方”これからの移住スタイル”をご紹介。実は知らなかった田畑の取得方法や古民家購入のノウハウなど。2019年3月発刊、全104ページオールカラー読み応えたっぷり。

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